叔父との別れ

2023年04月23日

父の弟が亡くなり、今日はその告別式に行ってきました。父は男ばかりの7人兄弟。その5番目が故人となった叔父です。叔父は器用で多趣味なため、退職してからはパソコン教室の先生や植木屋さん、大工さん、掃除屋さん、農作業など、自称何でも屋さんをやっていました。

その流れ?で、父に頼まれ庭に集会所なるものを作成。それもちゃんと図面から書いたのだとか! その頃の私は都内に住んでいて実家の事には全く興味がなかったので、そういうものを作っている事すら知りませんでした。目に入っていたのでしょうが、気に留めていなかったというのが正解かもしれません。

でも、叔父の作ったその集会所というのが、【ほぐし処めぐり】のあるこの店舗なのです。作ってもらった一番の理由は老人会の集まりに使える場所がなかったから、らしいのですが、その集まりは年に数回だけであとは全く使われていませんでした。

私が実家に戻ろうかと考え始めたきっかけの一つに、この建物があります。この辺では私がやりたいような仕事(勤めるとした場合)は全然なかったので、もしこの建物が使えるならお店を始めたいなと。都内だったら絶対考えない事でした。

私の為に作られたわけではないですが、叔父がいたから、叔父が作ってくれたからこうして自分のお店を持つという事が出来ました。オープン時には看板をプレゼントしてもらったり、その他にもずっと何かと気にかけてくれていました。

その叔父に何の恩返しも出来ないまま逝かれてしまいました。。。

倒れたと聞いた時、出来れば毎日でも叔父の身体をマッサージしに行きたかったのですが、病院ではまだコロナ禍のままで、家族ですら毎日の面会が出来ない状態だったので、私が会えたのはお通夜の日でした。変わり果てた叔父に「何度もマッサージさせてって言ってたのに、結局させてくれなかったね。そんなところだけはほんとに頑固なんだから・・」と言っちゃいました。

お通夜では叶わなかった、叔父に触れるということが告別式の今日、出来ました。顔にしか触れませんでしたが、柔らかくて穏やかな顔で、辛さや苦しさのようなものは全く伝わってこなかったので、それだけでも良かったなと思いました。

叔父と同様に、奥様である叔母にもとてもお世話になり、実家に戻ってからは身内ではこの二人だけが私の支えになってくれていました。そのお陰で辛い毎日も乗り越えてこられたんです。その叔父が亡くなってしまい、残された叔母が心配ですが二人の子供(いとこ)も親思いの良い子たちなので、その点では心配していませんが、これまで以上に、叔母が必要としてくれるならばいくらでも力になるつもりです。

これまでも叔母だけは施術を受けに来てくれていたので、叔母が来られないなら出張してでも受けてもらいたいと思います。そして二人でまた色んな話を、叔父の話をしたいと思います。

叔父さん・・・叔父と言っても年が近いため、この叔父から下の兄弟たちは皆、名前で呼んでいました。

啓ちゃん、今まで有難う。本当に有難うね。何にもお返しが出来なくてごめんなさい。代わりに奥さんのことは私にも少し任せてね!叔母さんが寂しくならないよう、時間のある限り話し相手になるから、安心してね。そして啓ちゃんの代わりに、いつか叔母さんと旅行に行けたら良いな。